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大阪高等裁判所 昭和62年(う)406号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。訴訟費用中原審証人Bに支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中第一(業務上過失傷害の点)については、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中島晃作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、原判示第一についての事実誤認及び法令の適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、本件事故は、被告人が大型特殊自動車(キャタピラ式油圧ショベル車)を運転し、時速約二キロメートルで原判示本件道路右側部分を南進し、被害者Aの誘導のもとに同道路西側に駐車していた車両の側方を通過したのち対面佇立している同人と衝突しない程度の距離をおいて同人の側方を通過しようとした際、同人が不用意に右足を軸にして右まわりで南に身体の向きを変えたため、その身体が被告人車両に接近するとともに、同人着用のズボンの左脚部外側についていたポケットの蓋のボタンがかかつておらず蓋が立つていたことから、その蓋部分がキャタピラに引つ掛かり、これをはずそうとして同人が左足をキャタピラの方に踏み込んだ際に左足内側をキャタピラに挾まれて負傷したというものであり、Aが誘導員として被告人車両の安全な運行と事故防止につき被告人と同等の立場に立つて、これに対し積極的な責任と義務を負うものであり、また、被告人車両が極めて低速であつて、Aにおいて容易に危険を回避できたことを考慮に入れると、本件は信頼の原則の適用のある場合であつて、被告人は誘導員であるA自らが誘導車両である被告人車両に接近するという危険な行動に出ることはないとの信頼のもとに運転することが許され、Aの動静に終始注意して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はなかつたものというべきであるにもかかわらず、このような注意義務のあることを前提に本件事故につき被告人の過失責任を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認ないし法令の適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論及び答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、原審及び当審において取調べた各証拠によれば、被告人は、大型特殊自動車(キャタピラ式油圧ショベル車、車長5.84メートル、車幅2.22メートル、運転席左側、以下被告人車両という。)を工事現場に移動させるためこれを運転し、本件事故現場である原判示の府道京都守口線の右側車線(右側部分の幅員6.1メートル)を時速約二キロメートルで南進中、偶々右道路西側に駐車車両があつたことから、本件被害者であるAの誘導でその側方を通過したのち、Aが進路前方約3.7メートル、被告人車両の右端から約0.3メートル(同人の身体の中心部からの距離)の地点に対面佇立しているのを認めたが、同人において適宜避譲しながら誘導してくれるものと考え、同人を注視することなく直進したこと、一方、Aは被告人車両の前部が同人の側方にさしかかつた際、被告人車両と駐車車両との接触の心配がなくなつたことから、南に向うため身体の向きを反転させて歩き出した直後、同人の身体が被告人車両に接近しすぎたうえ、同人の着用していたズボン左脚部外側についていたポケットの蓋のボタンが外れていて蓋が外側に立つていたことから、これが被告人車両の右キャタピラの前部右側端に巻き込まれ、これをはずそうとした際に左足がキャタピラに挾まれて原判示の傷害を負うに至つたこと、Aは被告人に雇われ本件道路で行われていた工事に従事していた作業員で、本件当日は被告人から誘導員に指名されていたものであり、同人は以前大型特殊自動車の運転免許を受けて大型車両系建設機械の運転に従事していたものであること、が認められる。(なお、Aの身体の反転の仕方が右まわりか左まわりかについては、A自身捜査、公判を通じてその供述が一貫せず、他にこれを確定すべき証拠もないので結局不明といわざるを得ない。)

以上認定の事実によれば、被告人車両は前記駐車車両の側方通過後、そのまま直進すれば佇立しているAの体側の極く直近とはいえ、その側方を相当な間隔を保持し無事に通過できる状況にあつたうえ、同人は、被告人から誘導員に指名され、現に被告人車両の右斜前方に佇立してひきつづき同車両の接近を注視していたものであり、かつ、被告人車両の速度が時速約二キロメートルと極めて低速で、その動向に応じて容易に避譲等の対応措置がとれる状況にあつたことに加えて、Aはその経験から被告人車両の形状、走行機能、危険性について十分に認識していたものと推認できること、一方、被告人は本件道路右側部分を逆行していたもので、対向車に対する注視を欠かせず、誘導員のみを注視して進行できる状況になかつたことなどを考え合せると、被告人車両の誘導にあたつていたAが特段の危険のない状態で引き続き同車両の右前方に対面佇立しているのを事前に確認していた被告人としては、同車両が同人の側方を通過するにあたり、同人において同車両の接近を認識し、自らその佇立位置と同車両の進行方向などを勘案して適切な状況判断をすることにより、少なくとも何の合図もせずに同車両との接触の危険を生じさせるような行動には出ないであろうと信頼して運転すれば足り、同人が不用意にも進行中の同車両にその着衣の一部が触れる位置まで突如接近したうえ、着衣を同車両キャタピラ部分に接触させてこれに巻き込まれるという不測の事態までも予測して、同人の動静を絶えず注視し(原判示の注意義務)或いは右注視に加えて同人との十分な間隔をとつて進行すべき(本件訴因の注意義務)業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。

そして、他に記録を調査し、当審における事実取調べの結果をあわせ検討してみても、本件事故につき被告人に業務上の過失が存したことを認めるには至らないので、結局、本件公訴事実中第一の事実は犯罪の証明が十分でないといわざるを得ない。しかるに、被告人に原判示のような業務上の注意義務があることを前提とし、被告人に過失があるとして右事実につき有罪の認定をした原判決は、この点において事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

控訴趣意中、原判示第二についての事実誤認及び法令の適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、本件現場は工事途中の道路であつて、一般車両等の進入を防止するための工事柵が撤去されたのは、工事施行者である京都市の指示によるものであるから、いわゆる道路とはいえず、かつ、被告人は車両系建設機械運転技能講習を修了し、大型特殊車両を適法に運転する資格を有していたものであるから、被告人が本件現場において本件車両を運転したことは無免許運転にあたらないにもかかわらず、無免許運転罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認ないしは法令の適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、原判決挙示の各証拠によれば、原判示第二の事実が肯認できる。

すなわち、右各証拠によれば、被告人が無免許で大型特殊自動車を運転したとされる原判示第二の場所は、京都府府道(府道京都守口線)であり、現に一般の通行の用に供され、車両等が通行していたことが認められるから、右の場所は道路法二条一項所定の道路にあたり、したがつて道路交通法六四条、二条一号、一七号により本件自動車のごとき車両等の運転には免許を要する道路交通法上の道路であることは明白である。なるほど所論のとおり本件道路は、当時舗装復旧工事中であり、従来設置されていた工事柵が付近住民にとつて不便である旨の苦情を受けた京都市の指示で本件の二、三日前に撤去されたという事情は認められるものの、前記認定のとおり工事柵撤去後一般の通行の用に供されていた以上、現に工事中であるとか、工事柵撤去の理由は、道路であることを否定する理由にはならない。また、原判示の場所が道路交通法の適用を受ける道路である以上、所論のとおり被告人が技能講習を修了していたとしても、右の講習は私企業の行う単なる技能講習で道路交通法上の免許を付与するものでないから、被告人の運転行為が無免許運転にあたることは明らかである。所論はいずれも採用できない。論旨は理由がない。

よつて、原判決中判示第一に関する部分は刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により破棄を免れないところ、原判決はこれと同第二の罪を刑法四五条前段の併合罪として一個の刑を科しているので、その全部を破棄したうえ刑訴法四〇〇条但書により次のとおり自判する。(罪となるべき事実)

被告人は、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和六〇年二月四日午前八時ころ、京都市伏見区納所薬師堂一番地の二四八先付近道路において大型特殊自動車を運転したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は、道路交通法六四条、昭和六一年法律第六三号附則三項により同法による改正前の道路交通法一一八条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用のうち原審証人Bに支給した分は、刑訴法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。(一部無罪の理由)

本件公訴事実中、第一の事実は「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和六〇年二月四日午前八時ころ、大型特殊自動車(油圧ショベル)を運転し、京都市伏見区納所薬師堂一番地の二四八先付近道路を時速約二キロメートルで南進中、A(当四九年)が北方を向いて誘導するため佇立しているのを前方約11.45メートルの地点に発見し、同人の左側方を通過しようとしたのであるから、その動静を注視し、同人との十分な間隔をとつて進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、同人の動静を注視せず、同人との十分な間隔をとらないまま漫然前記速度で進行した過失により、同人の左足部を自車右側キャタピラ部で轢過させ、よつて同人に対し加療約八九日間を要する左下腿、足の剥離挫滅創の傷害を負わせたものである。」というのであるが、右公訴事実については、すでに判断したとおり犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大西一夫 裁判官谷村允裕 裁判官瀧川義道)

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